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書評

東大助手物語(中島義道著 新潮社 2014)

 残暑お見舞い申し上げます。
 昨日たまたま本屋でみつけた東大助手物語(中島義道著 新潮社 2014)を読んでみました。ここにご紹介いたします 。
 大学にいる以上は教授をみんな目指している。ところが、教授になるには実力ではない力が働いている。
 東大文一に入学したものの法学部ではなく文学部にすすみ哲学の修士課程に入ったが退学、法学部に学士入学後、計12年かけて大学を卒業し、予備校教師のあと、親の仕送りでウイーンに私費留学し、ウイーン大学で博士号をとった著者自身の物語。ウイーンにたまたま来て彼を東大助手に抜擢した恩人の教授が、突然パワハラといえるいじめを開始したところから物語は始まる。
 最も優秀な文一のエリートコースは、(官僚や法曹界に横取りされないため)青田刈りされ、大学院にはすすまず卒後すぐ助手に採用し、2−3年で修士論文を書く。そのできが、学会を震撼させるようないいものであることが多く、20代で助教授、30代で教授となる。こういった破格人事は東大だからこそ通用するが、あとでみるとその判断の正しさが判明してくることが多い。そうでなければ、大学院で修士、博士を順次とって、それから助手となり、3年の間に、どこかに出される。そこから助教授−教授というコースをとるのがのぞましいが、その上昇過程は入学試験の偏差値に基づいている。地方の国立大学、次に旧六といわれる千葉、新潟、金沢、岡山、熊本、長崎大学、それから東大を除く旧帝大、最後に東大への上昇気流に乗れれば最高だ。ただ、大学の人事の内容は一切わからない。あとで理屈をつけるだけだ。
 万年助手というのも存在する。文部教官は首を切れないから。だけどそのように3年以上助手をやっている人は出世コースから完全に外される。上昇気流に乗るか外れるかは、本人の実力だけではないところが、悲しい。
 その後電通大の教授になる筆者は書いている。「こういう体験を経て私が生き延びていることは奇跡的である。あたかも厳しい戦闘で偶然生き延びた兵士のように、権力や組織の犠牲になって、斃れた(のたれ死んだ)多くの優秀な頭脳に対して、私は深く自責の念を覚える。私はなぜつぶされなかったのか?いまだ研究者の端くれとしてぬけぬけと生きていけるのか全くわからない」。
 これはあくまでも当時の東大に在籍した哲学者の物語だが、私学あるいは理系でも似通った現実があると思われる。 本書に示されたような上司の滑稽にもみえる私利私欲は、表出しない方が多いかもしれない。実際は、組織のためというもっともらしい理屈をつけ、本意ではないが致し方ないという正義漢の仮面をつけてやってくる。それをおこなわせている黒幕(上司、同僚、部下いずれの可能性もある)の存在も忘れてはならない。 そうやって踊り踊らされながら、世の中は廻っている。ただ将来、その組織およびそれに直接関わった人それぞれに、何らかの形で返ってくる結果となるのもこの世の常である。
 
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