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横顔

「狭き門より入れ」  ―Fact-Based Medicineの可能性―

日本耳鼻咽喉科学会の都地方部会報に今月はじめ掲載しました拙文です。以前から感じていたことを記しました。
「狭き門より入れ」  ―Fact-Based Medicineの可能性―
開業?急がば回れ
名古屋の中山明峰先生が、「若手医師たちへ:開業?急がば回れ」をJOHNSに寄稿しています。「長く大学にいると研究活動を通して臨床的なリサーチマインドが養われ、その後の診療の幅が広がり、差別化が図れるオンリーワン医師になることができる」がその要旨と考えます。
 
親と違う耳鼻科医になれ
私も大学に長くいました。藤田保健衛生大学(現藤田医大)在学中は、3代目となるはずの耳鼻咽喉科には全く魅力を感じなかったのですが、故岩田重信教授から、「親と違う耳鼻科医になれ。入局したらどこにでもいかせてやる」という巧言につられ、入局しました。入局後はお言葉に甘えて、学内外の生化学、生理学、解剖学、病理学などの様々なラボで下積みをさせていただき、試験管洗いから始めて、酵素の分離精製、高感度酵素免疫測定法の開発、簿切から免疫染色、HPLC-RIA、正常気道粘膜上皮の初代培養、一本刺しの微小電極法からパッチクランプに至る電気生理、リアルタイムPCRなどを自らおこなったことが、私の基礎となりました。ご指導いただきました先生やその時々のスタッフ皆様にはいろいろとご迷惑をおかけしたと思いますが、ひとかたならず御世話になり有り難く感謝しております。
 
パッチクランプ
私自身の実験は、学位取得後二つの市中病院に勤務している間も、大学に講師として戻ってからも続けました。帰局当時、学内のどこのラボにも単一イオンチャネル活性を測定するために必須であるパッチクランプの設備がなかったため、生理学研究所に行かせて欲しいと当時の岩田教授に申し上げたところ、そういうことは助手がやるものだと言われながら許可していただきました。週2回の手術日、最後に行われる鼻の手術が終わる午後9時頃から、長距離トラックが行き交う国道一号線を車で40分ほどの研究所にいき、摘出ヒト鼻粘膜上皮(手術検体がないときは真っ暗な地下通路を通り隣の建物の動物舎にいって摘出したモルモットの気管粘膜)の初代培養とパッチクランプの実験をおこなっていました。その後、自前のセットを耳鼻科内で作り上げてからも、現在碧南にいる平野光芳先生にはずっと手伝っていただき、その成果は彼の学位論文になっています。
余談です。生理研に通っていた頃のことです。実験の一段落がつくのが大体午前1−2時のため、八事にある自宅までの帰路の途中の大学病院で泊まったことも多々ありました。当直室がいっぱいだったある日、看護師に勧められるまま、まるまる空いていた耳鼻科病棟の大部屋(8人部屋)で寝させていただきました。何か気配がして目覚めると、10名くらいいたでしょうか、患者さんと思われる方々が私のベッドを取り囲む様にして笑いながらこちらを見ていました。それまで想像だにしなかった体験でしたが、その後誰もいない大部屋では寝ないようにしたのはいうまでもありません。
 
保険診療
我々耳鼻咽喉科医の収入の大半を占める保険診療は療養担当規則を遵守しておこなうことが定められており、そのことは岩佐英之先生、笠井 創先生が繰り返しご指摘になっている通りです。ただ昨今、診療は様々な疾患で定められているガイドラインに沿ってなされるべきであると考えられる傾向もあるようです。ガイドライン策定の根拠となるEvidence -Based Medicineの重要性は周知のごとくです。そのガイドラインは国により違います。たとえば欧米各国では、アレルギー性鼻炎薬物治療のfirst lineは鼻噴霧用ステロイドのようですが、日本では異なります。
 
抗菌薬の痛みに対する効果
第一線の医療現場では、様々な患者を初めて診る医師となることが多くなります。難しさもある一方、日常診療であれっ?と思うことはよくあり意外な発見もあることも事実です。たとえば、ある種のニューキノロン系の抗菌薬は、痛み症状そのものを改善するかもしれないと感じるようになりました。そこで、獨協医科大学越谷病院臨床研究倫理審査委員会の承認を受けて、文京区の徳永雅一先生などと共同で臨床研究をおこない、セフエム系抗生剤にはないニューキノロン系抗菌薬が持つ痛みに対する効果を、症状の推移およびサイトカインの測定結果から見いだしました。
 
ネブライザー
コロナ禍、感染防御の観点から問題視されたネブライザーですが、医学的には見過ごすことができない治療法であると考えます。本来の目的はドラッグデリバリーですが、視点を変えて実験をおこなうと、生理食塩水のネブライザーだけで、鼻の生理機能が改善されること(特にアレルギー性鼻炎患者で顕著にみられます)、ネブライザーに振動を与えるだけで嗅覚障害が改善する例があることを確認し報告しています。
 
物質か方法か
研究者は、自身の実験でいい結果が得られた一つの物質にこだわりがちとなります。私も一時期アラキドン酸カスケードのプロスタグランディンD2に固執していた時期があります。カスケードならまだいいのですが、サイトカインはネットワークの一つにしかすぎません。したがって、一つが動く意味はかなり複雑となります。その一つの物質から病態を解明するあまり、物質と心中することになった方を今まで何人もみてきました。最近は、より基本的で必須の生命現象を一つの尺度で捉えたいと思い、粘膜上皮バリア機能の測定をとおしておこなっております。バリア機能研究は、電気生理学的に過分泌の制御メカニズムを捉えるため実験をおこなっていたとき、その裏返しはバリアではないかと(岩田教授が宿題報告直前に急逝された後に留学した米国での脳血管内皮の研究を通して)想起し、開始いたしました。バリア機能のフレームを通すと、アレルギー性鼻炎や副鼻腔炎など多くの気道疾患の病態理解がすっきりすることに気がつきました。
 
喫煙とバリア機能
ヘビースモーカーの人は重症花粉症の方が少ないというネット情報から、喫煙前後の鼻粘膜上皮バリア機能を測定し、浦和美園の中島規幸先生や三鷹台の廣瀬 壮先生にまとめていただいたことがあります。喫煙はもちろん長期的には上皮破壊がおきますが、短期的な効果に限ればバリア機能を改善させる可能性が証明できました。水素水の点鼻についても実験をおこない、ヒト鼻粘膜上皮バリア機能をupregulateすることを発見しています。
 
耳鼻科局所処置の有用性の基礎的裏付け
耳鼻咽喉科診療の根幹ともいえる局所処置に用いられている塩化亜鉛の収斂作用を、電気生理学的に証明しました。B spot治療ともいわれる上咽頭の塩化亜鉛処置は、その濃度あるいはpHによって、粘膜のリセットを惹起するablationとなることもあればバリア機能をupregulateすることも確認し、病態により使い分けを考えながらおこなう必要があることが示唆されます。
 
ステロイドとバリア機能
ステロイドは、クローン病や気管支喘息で粘膜バリア機能をupregulateさせることが証明されています。順天堂の臨床研究倫理審査委員会の承認を受けて、一般的な鼻噴霧用ステロイドは、花粉誘発30分前の一回の点鼻でアレルギー性炎症による鼻粘膜バリア障害が回復することを見いだし、お出かけ前の点鼻の有用性について実証しました。
 
ドライノーズ
ドライノーズは、2001年に故奥田稔先生が指摘された当時と同じくいまだ理解されていない病態です。その病態の本質は、ドライスキンで証明されているとおり、上皮バリア機能障害であると考えられます。アレルギー性鼻炎、副鼻腔炎などの鼻粘膜上皮障害の上流にドライノーズがあるとの考えのもと様々な研究をおこなって参りました。昨年、順天堂大学の倫理審査委員会の承認を得ておこなった臨床研究では、音楽を聴取することによりバリア機能がupregulateされドライノーズが改善されることを見いだしています。
 
臓器別の「常識」 メカノセラピー 共同研究のレベル
慶應から北里にいかれた藤岡正人先生からお聞きましたが、幹細胞研究、再生医療研究で臓器別の専門家が集まって作業すると、他では「一般的ではない」理論がその臓器の「常識」となってしまっていることに気がつきはっとすることがあった様です。その意味でも、耳鼻咽喉科以外、医学以外の方との共同研究が大事であると考えます。携帯電話の着信時の振動が鼻閉感をやわらげるとのネット情報がありました。皮膚科や整形外科領域では、メカノセラピー(力学的治療)の基礎的検討が既になされています。そこで、日本医科大学形成外科、東京理科大学工学部山本研究室との共同研究として、(気流などの)振動を利用した嗅覚障害や副鼻腔炎の治療ができないかの考えのもと、科研費の補助を得て開始しております。他にも、順天堂大学耳鼻咽喉科、東京理科大学理工学部朝倉研究室および東京歯科大学と、耳管機能、嚥下機能検査のポータブル化によるセルフケアへの展開についての共同研究もおこなっています。このような共同研究の学術レベルは、最初の耳鼻科の恩師である故岩田教授によると、参加している研究者の最低レベルと等しくなると言われたことがあります。皆様の足を引っ張らないよう勉強を続けていくことを肝に銘じております。
 
Fact-Based Medicine.
調停などのメディエーションの場面で重視される「物語」(Narrative)について、山形大の中西淑美先生に教えていただいたことがあります。私たち各人それぞれの物語があり、またその物語からいくつもの「現実」(Reality)が認知的に作られています。その人の現実の意味と意味を繋ぐ一つのファクトを紡いでいくことから生まれたNarrative-Based MedicineはEvidence-Based Medicineと通じ合うものだとされています。
入局当時、臨床は一例報告から始まると言われ、一例一例の重要性を教えられました。一診療所ではまとまった多くの症例が登録できることはなく、いわゆるエビデンスが得られません。純系マウスと違って、ヒトは食べているものから生活スタイルまでかなり異なります。従って私たちそれぞれに生と命のガイドラインがあるはずです。バリア機能のような生体恒常性に普遍的かつ不可欠な機能について実験をおこなっていると、そこからみえるファクトが存在することに気がつきます。確固とした基礎的理論に基づいておこなった診療の一例一例から得られたファクトから導き出されるFact-Based Medicineがあっていいのではと考えるようになりました。
 
「狭き門より入れ」
藤田医大、獨協医大、順天堂、日本医大と4つの大学医学部のシニアスタッフを務めましたが、私学も含め大学の一つの大きな使命は研究であることは言うまでもありません。私自身いささか回りすぎた嫌いはありますが、「急がば回れ」を違う角度から思い図ると、聖書(マタイ7:13)の「狭き門より入れ」に通ずるものがあるかもしれないと最近思っています。
開業医でもできる研究があり、また研究をおこなうことが私ども耳鼻咽喉科医の生き残る道であると信じて、現在も細々と続けています。第一線の日常の臨床現場では、宝の山がごろごろしています。病気の上流にいるフレッシュな患者さんそれぞれの「物語」にあったいろいろな選択枝について(時には患者さんご家族の方とも)相談しながら、上流の医療Ⓡが実践できるという意味では、大学より研究がしやすいかもしれません。一診療所でも新しい医療に切り込むことができることの幸せを日々感じております。
 
最後までお読み頂きありがとうございました。本文の内容の一部は、私のブログ http://dry.nose.main.jp のなかの「上皮は考える」「世の中点数」「病気の上流」「医師は自由業」「医学はわからないことだらけ」などの項や、順天堂、日本医大の同門会誌などでも触れております。ご興味のおありの方はご笑覧ください。
 
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