5月地区医師会に寄稿した文章を2回に分けて紹介いたします。以前にアップしました都耳鼻の寄稿文との類似ありますが、ご笑覧いただけましたら幸いです。
大学とクリニックの狭間で 地区医師会会誌への寄稿文(その1)
医師会には2006年に入会しましたが当時はB会員でした。丁度、播磨坂近くのクリニックの立ち上げにコミットした時です。その「はりま坂耳鼻咽喉科」の開院まもなく私自身が約半年の育児休暇をとらせていただきました。大学のdutyから解放されたその間は、今頃手術やっているなとか医局会がそろそろ始まるなとか思いながらも、育児とクリニック診療を毎日おこなっておりました。傍らで、医師会の講演会に数多く参加することができましたが、実はそのときの他科の先生の講演で得たヒントが、大学復職後の 主たる研究テーマの一つとなっています。
振り返ってみますと、藤田保健衛生大学(現藤田医大)卒業後、愛知県奥三河の市民病院、名古屋の下町の法人病院勤務を経て、4つの大学(藤田、獨協、順大、日本医大)の講師、准教授、教授として、留学、育児休暇を挟みながら、得がたい経験を積ませていただきました。その間常に、岐阜市内で開業していた 先代、先々代とは違う耳鼻咽喉科診療がいかにできるかについて漠然と考え続けておりました。
(2019年5月の岐阜駅前)
耳鼻咽喉科クリニックに再び関わるようになった今、13年前の当時と比べ素朴に思ったこと以下に記します。
処方薬はほぼ同じです。抗菌薬は出すこと自体が悪いことのようになりつつあり、ラインアップはむしろ確実に減っています。
突発性難聴を代表とする内耳性難聴の薬は、30年以上新薬がでていません。そもそも内耳の血流量は心拍出量の100万分の一でしかも内耳血液関門があり、血液を介する薬物投与は有効とはいえません。突発性難聴研究のメッカであった名古屋大学の教授が30年前の学会の宿題報告でだされた治療成績とその2代あとの名大教授の成績は全く変わらなかったようです。どういった状態のひとがどういう治療をすると治るというエビデンスが全く得られていない現在、治るひとは治り治らないひとは治らないといってもよい状況で、医者の力で治ったとはとても思えません。
癌の治療は進歩していますが、我々耳鼻咽喉科医の扱う頭頚部癌は非常に少なく、かなり流行っているクリニックでも年間数名いるかどうかと言うレベルです。そのため、一大学病院ではがん専門病院の症例数には到底及ばず、しっかりとしたpopulation studyができません。
一方、アレルギー性鼻炎は新薬が一応でていますが、以前の考え方の薬がほとんどです。免疫療法はご存じのように歴史のある古い治療で、舌下免疫も欧米では特段新しいものではありません。また、非常に高価な抗体医薬は、それを鼻炎だけに使用することに関しては懐疑的にならざるをえません。
手術はどうでしょうか。炎症性疾患への手術治療の選択はやはり慎重になるべきです。これは副鼻腔炎に対する内視鏡手術の先駆者であるSternbergerが講演で毎回言っています。ただ、手術点数は保険診療の中では上昇傾向にある現在、overindicationになりがちです。
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